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東京地方裁判所 平成4年(ワ)1399号 判決 1993年2月25日

原告

A

被告

右代表者法務大臣

後藤田正晴

右指定代理人

小池晴彦

外五名

主文

一  被告は、原告に対し、金一〇万円及びこれに対する昭和六一年四月八日から支払済みまで年五パーセントの割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は被告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告に対し、金一〇五万円及びこれに対する昭和六一年四月八日から支払済みまで年五パーセントの割合による金員を支払え。

第二事案の概要

明治四一年司法省令一八号である監獄法施行規則(以下「規則」という。)一二〇条には、「十四歳未満ノ者ニハ在監者ト接見ヲ為スコトヲ許サス」と定められているが(平成三年法務省令二二号による改正前のもの)、平成三年七月九日の最高裁判所判決は、その理由中において、この規定は監獄法(以下「法」という。)五〇条の委任の範囲を超えて無効であると宣言した。原告は死刑判決確定者であるが、未決勾留中であった昭和五八年から昭和六一年にかけて二〇回以上にわたって重ねて、養親の孫との面会許可を求めたが、東京拘置所長は右の規則の定めを根拠に不許可とした。原告は、法務大臣が無効な規定を削除しないまま放置した過失が原因となって面会を拒否されたことを理由に、国家賠償を求めた。

一経過

1  原告は、昭和四九年に起きた三菱重工等に対するいわゆる連続企業爆破事件の被疑者として、昭和五〇年に逮捕された後、爆発物取締罰則違反及び殺人罪等により起訴されて、昭和五四年に第一審の死刑判決を受け、昭和六二年に上告棄却により死刑判決が確定し、現に東京拘置所に在監している者である。

2  原告は、未決勾留中であった昭和五八年四月一四日、死刑廃止運動に参加していた鈴木B(以下「B」という。)と縁組して、その養子となった。Bには長女鈴木C(以下「C」という。)があり、Cには昭和四八年八月二六日生の長女鈴木D(以下「D」という。)がある。

3  原告は、昭和五八年五月二七日、BとCがDを同伴の上で面会に来たので、その許可を求めたが、東京拘置所長(以下「拘置所長」という。)は同月二八日、Dとの面会を不許可とする旨告知した。

原告は、昭和五九年四月二七日、B又はCが同伴の上でのDと面会することの許可を求めたが、拘置所長は同年五月二日、これを不許可とした。

この他にも、昭和五八年から昭和六一年にかけて、Dが満一四才に達するまでの間、合計二一回にわたり、BとCが同伴の上で、あるいはB又はCが同伴の上でのDとの面会の許可を求めたが、拘置所長はいずれも規則一二〇条を理由に右面会を不許可とした。

4  原告は法務大臣に対し、昭和五八年五月三〇日、規則一二〇条が違憲であることを理由に、同月二八日の不許可処分の取消を求めて、法七条による情願をしたが、法務大臣は、同年九月六日、この情願を却下する裁決をした。

原告は、同年一〇月二四日、巡閲官に対しても同様の理由により、拘置所長が原告とDとの面会を許可すべきことを命ずるよう求めて、情願を行ったが、同年一二月七日、不裁決とされた。

原告は法務大臣に対し、昭和五九年二月二七日、規則一二〇条が違憲であることを理由に、その削除を求めて請願をした。

5  原告は、昭和五九年六月一五日、国を被告として、同年五月二日の拘置所長の面会不許可処分の取消しと損害賠償を求めて訴えを提起したところ(後に処分取消請求は取り下げた。)、東京地裁は、昭和六一年九月二五日、被告国に対し金五万円の支払いを命ずる判決を言い渡した(以下この事件を「前件」という)。この判決は、規則一二〇条は、それを制限的に解釈することを前提とすれば、違憲又は違法ではないが、拘置所長はその裁量権の範囲を逸脱して原告とDとの面会を不許可としてその自由を侵害してしまったから、被告国は原告の損害を賠償しなければならないと判断したが、その理由はおよそ次のとおりである。

即ち、未決勾留は、刑事司法上の目的のために必要やむを得ない措置として一定の範囲で個人の自由を拘束するものであるが、他方被拘禁者の市民としての自由も保障されるべきである。したがって刑事被告人については、逃亡又は罪証隠滅の防止及び監獄の規律と秩序の維持という二つの目的のために、必要で合理的な範囲内においては、ある程度の自由の制限をするのもやむを得ないが、その範囲を超える制限を課すことは許されない。法四五条一項は、「在監者ニ接見センコトヲ請フ者アルトキハ之ヲ許ス」と定め、同条二項は、「受刑者及ビ監置ニ処セラレタル者ニハ其親族ニ非サル者ト接見ヲ為サシムルコトヲ得ス但特ニ必要アリト認ムル場合ハ此限ニ在ラス」と定めているから、未決勾留中の刑事被告人については、無制限に接見を許すとしているように読めないではないが、一方において法五〇条は、「接見ノ立会……其他接見……ニ関スル制限ハ命令ヲ以テ之ヲ定ム」と規定していることからすると、法は、右に述べた目的の範囲内において、規則により接見に制限を設けることも許容しているものと解することができ、規則によるその制限は右の目的の範囲内のものでなければならない。ところで法五〇条を受けた規則一二〇条は、「十四歳未満ノ者ニハ在監者ト接見を為スコトヲ許サス」と定め、規則一二四条は、「所長ニ於テ処遇上其他必要アリト認ムルトキハ前四条ノ制限ニ依ラサルコトヲ得」と定めており、規則一二〇条の文言は如何にも一義的ではあるが、規則一二四条と統一的に見れば、幼年者と刑事被告人との接見を原則として禁止しているのではなく、それが幼年者の心情に対する具体的な危険がある場合にだけ制限すべきものとしていると解釈することができ、このような制限的な解釈ができる以上は、規則一二〇条が直ちに法五〇条の委任の範囲を超えて違法であるということはできない。規則一二〇条の趣旨は、犯罪者等を拘禁する監獄において未熟な幼年者を在監者に面会させることは、幼年者の心情に対する具体的危険が大きいが、常にそのような危険があるというものではないから、具体的危険がない場合には規則一二四条を活用して面会を許すことができるし、そのような弾力的運用を図れば、刑事被告人の自由を不当に制限することにはならず、法五〇条の委任の範囲を逸脱しない。ところが拘置所長は、勾留及び監獄の管理の目的のために、及び幼年者の心情に対する具体的な危険を避けるために、必要かつ合理的な範囲内においてのみ、刑事被告人と幼年者との面会を不許可とすべきであるのに、その裁量権の範囲を逸脱して、そのような場合にあたらないのに、原告とDとの面会を不許可にしてしまった、というのである。

かつて東京拘置所においても、在監者と幼年者との面会を広く認めていたが、昭和五三年後半頃、成田事件の支援者らが子供を同伴の上で在監者と接見した後、子供とともに東京拘置所内でシュプレヒコール等をしたところ、これを排除するに際して子供について身体の危険が生じたことがあったため、遅くとも昭和五三年一二月一一日から幼年者との面会を全面的に禁止したが、昭和五四年八月二日この措置を改め、在監者と幼年者との面会は、在監者の処遇上必要がある場合の他に、勾留が長期にわたっている者であること、面会の相手が在監者の実子であること、進学等子供の教育上の理由、配偶者の病気入院等子供の成育上の理由等の特別の事情があること、年間二回程度であること等の条件に適う場合にのみ面会を許可することになったが、拘置所長は、この基準を適用して、Dが原告の実子ではなかったために、その面会を一切不許可としてしまったのであった。

6  前件の控訴審である東京高等裁判所も第一審判決とほぼ同様に理由により、昭和六二年一一月二五日、控訴棄却の判決を言い渡したが、最高裁判所は、平成三年七月九日、原判決を破棄して原告の請求を棄却した(民集四五巻六号一〇四九頁)。右最高裁判決の要旨は、第一審及び第二審の各判決とは異なり、規則一二〇条は法五〇条の委任の範囲を超えて違法であり、規則一二〇条を根拠とする拘置所長の面会不許可処分も違法であるが、拘置所長は右規則に則って不許可処分をしたのであるから、拘置所長の処分には過失はなかった、というものであった。その理由はおよそ次のとおりである。

即ち、規則一二〇条が原則として被勾留者と幼年者との接見を許さないこととする一方で、規則一二四条がその例外として限られた場合に監獄の長の裁量によりこれを許すとしていることが明らかである。しかしこれらの規定は、たとえ事物を弁別する能力の未発達な幼年者の心情を害することがないようにという配慮の下に設けられたものであるとしても、それ自体、法律によらないで被勾留者の接見の自由を著しく制限するものであって、法五〇条の委任の範囲を超えるものといわなければならない。原審は、規則一二〇条(及び一二四条)は幼年者の心情の保護を目的とするものであり、これに対する具体的な危険を避けるために必要な範囲で監獄の長が幼年者と被勾留者との接見を制限することを認めた規定であるという限定的な解釈を施した上、法はそのような制限を容認していると解する余地があるとして、右各規定が法五〇条の委任の範囲を超えて無効であるということはできないと判断した。しかし前記のとおり、被勾留者も当該拘禁関係に伴う一定の制約の範囲外においては原則として一般市民としての自由を保障されるのであり、幼年者の心情の保護は元来その監護に当たる親権者等が配慮すべき事柄であることからすれば、法が一律に幼年者と被勾留者との接見を禁止することを予定し、容認しているものと解することは困難である。そうすると規則一二〇条(及び一二四条)は、原審のような限定的な解釈を施したとしてもなお法の容認する接見の自由を制限するものとして、法五〇条の委任の範囲を超えた無効のものというほかはない。原告とDが接見したとしても、原告が逃亡し又は罪証を隠滅するおそれはなかったし、監獄内の規律や秩序が乱されるおそれもなかったのであるから、拘置所長は、法四五条の趣旨に従い、原告とDとの接見を許可すべきであったのに、不許可処分をしてしまったのであるから、この不許可処分は法四五条に反する違法なものである。しかし規則一二〇条(及び一二四条)は明治四一年に公布されて以来長きにわたって施行されてきたものであって、本件の不許可処分当時までの間、これらの規定の有効性につき、実務上特に疑いを差し挾む解釈をされたことも裁判上とりたてて問題とされたこともなく、裁判上これが特に論議された本件においても第一・二審がその有効性を肯定していることはさきにみたとおりである。そうだとすると規則一二〇条(及び一二四条)が右の限度において法五〇条の委任の範囲を超えることが当該法令の執行者にとって容易に理解可能であったということはできないのであって、このことは国家公務員として法令に従ってその職務を執行すべき義務を負う監獄の長にとっても同様であり、監獄の長が本件不許可処分当時右のようなことを予見し、又は予見すべきであったということはできない、というものであった。

7  右最高裁判決を受けて、法務大臣は、平成三年八月、法務省令二二号により規則一二〇条を監獄法施行規則から削除した。

8  そこで拘置所長の不許可処分が規則一二〇条に依拠したが故に過失がないならば、右規則を改廃せずに放置した法務大臣に過失があったとして、損害賠償を求めたのが本件である。

二争点

当裁判所も前件の最高裁判決と同様の理由により規則一二〇条は違法で無効と判断する。とすると本件の主な争点は次の二点である。

1  法務大臣が規則一二〇条を改廃しないまま放置していたことによる賠償責任の有無。

2  原告の損害賠償請求権は時効消滅したか。

第三判断

一法務大臣の責任の有無

違法な規則一二〇条が存在するからと言って、その存在自体によって、被勾留者の面会の自由が侵されるわけではないが、拘置所長がその違法な規則を根拠に、違法な面会不許可処分をすることによって、被勾留者の権利が害されることになる。したがって本件の面会不許可処分について法務大臣の責任を問うためには、まず、規則一二〇条を改廃しないで放置したことについての法務大臣の過失の有無の他に、違法な規則一二〇条を維持することによって、それを根拠とする違法な面会不許可処分がなされることの予見可能性があったかどうか、を検討しなければならない。また、前者つまり規則一二〇条を維持したことについて法務大臣の過失があったとするためには、その前提として、少なくとも右規則が違法であることの認識可能性がなければならない。

1  規則一二〇条の違法性の認識可能性

被告は、規則一二〇条が明治四一年に公布されて以来長きにわたって施行されてきたものであり、本件の不許可処分当時までは、これらの規定の有効性につき、実務上特に疑いを差し挾む解釈をされたことも、裁判上とりたてて問題とされたこともなかったから、法務大臣は規則一二〇条の違法性を認識し得なかったと主張する。

規則一二〇条は、明治四一年三月に監獄法が成立した後で同年一〇月に施行される以前である同年六月に施行規則が制定された当初から存在するもので、その制定の理由は、犯罪者等の拘禁施設という特殊な環境から、事理を弁別する能力の未発達な幼児の心情を保護し、幼児の将来に悪影響を及ぼさないようにとの刑事政策上の要求に基づくものであったが、昭和二一年に刑事被告人の人権尊重を宣言した現行憲法が公布され、昭和二三年に刑事被告人につき無罪の推定が働くことを鮮明にした新刑事訴訟法が成立した後も、右の制定理由とほぼ同様の理由により、なお規則一二〇条の存在意義を認める有力な見解も存在した。しかし、前件の最高裁判決が指摘するように、被勾留者も当該拘禁関係に伴う一定の制約の範囲外においては、原則として一般市民としての自由を保障されるのであり、幼年者の心情の保護は元来その監護に当たる親権者等が配慮すべき事柄であることからすれば、一律に幼年者と被勾留者との接見を禁止し、拘置所長の判断により例外的にこの禁止を解除することを定めた規則一二〇条(及び一二四条)に合理性を認めることはできないし、この規則の存続を支持する見解に相当の根拠を認めることもできない。かくして、法律によらないで、また法による委任の範囲を超えて、被勾留者の接見の自由を著しく制限する規則一二〇条は、廃棄すべきものであった。

この点、被告は、ある事項に関する法律解釈につき異なる見解が対立し、実務上の取扱いも分かれていて、そのいずれについても相当の根拠が認められる場合に、公務員がその一方の見解を正当と解して公務を執行したときは、後にその執行が違法と判断されたからといって、直ちに右公務員に過失があったとすることはできない、との判例(最高裁昭和四九年一二月一二日判決、民集二八巻一〇号二〇二八頁)を引用して、法務大臣が規則一二〇条につき合理性を認める見解を正当と解してこれを削除しなかったことには過失はないと主張する。しかしながら、拘置所長とは異なり、法律専門家集団を擁する法務大臣が、規則一二〇条の違法性を認識し得なかったというのには無理がある。原告も指摘するように、昭和五七年四月二八日に国会に提出されたが成立に至らなかった刑事施設法案には、幼年者との接見禁止に関する規定は存在しないが、法務大臣は、遅くともこの法案を立案する過程において、規則一二〇条の違法性を認識していたか、あるいは少なくともその認識可能性があったものと推認されるし、また原告は、本件の面会不許可処分に関し、昭和五八年五月三〇日と同年一二月七日の二回にわたり重ねて情願をなし、さらに昭和五九年二月二七日には請願に及んだから、この段階において規則一二〇条の適法性を真摯に検討していれば、法務大臣はその違法性を認識することができた筈である。仮に、規則一二〇条の規定の有効性につき解釈が分かれていたとしても、そのことは法務大臣を免責する理由にはならない。しかも、国会の議決を経なければならない法律に比して、規則の改廃は容易である。法務大臣は、規則一二〇条を改廃すべきであったのに、これを怠り、右規則を改廃しないで放置したという他はない。

2  違法な面会不許可処分の予見可能性

規則一二〇条の違法性を認識していれば、それを改廃しないで維持することにより、拘置所長が違法な右規則を根拠に、被勾留者と幼年者との接見を厳しく制限して、違法な面会不許可処分をする可能性を予見することは、右規則の違法性の認識可能性よりも、より容易であった。前件の第一・二審判決は、規則一二四条を活用することにより幼年者との面会を許すことができたから、拘置所長は規則一二〇条を弾力的に運用することも可能であった、と説くが、規則一二〇条の文言を素直に読めば、一四才未満の者と在監者との接見は原則的に一般的に禁止されており、それにもかかわらず現場の拘置所長に柔軟な適用を期待するのには無理があるし、そもそも人権にかかわるこのような規定について、拘置所長に文言に忠実とは言えない弾力的な運用を求めるのは相当ではない。東京拘置所長は、昭和五三年一二月に、一旦は在監者と幼年者との接見を一般的に禁止したのに、昭和五四年八月にはこれを改めて、なお実子以外の幼年者との接見禁止は残しつつも、緩和措置をとったが、このことは、拘置所長による規則一二〇条を根拠とする厳しい面会制限が行われることの予見可能性を裏付けると共に、拘置所長による右のような弾力的運用が容易でないことをも示唆するものである。加えて原告による前述の二回の情願や請願も右の予見のための機会となり得た筈である。かくして違法な規則一二〇条に基づく違法な面会不許可処分の予見可能性を否定することもできない。

とすると、拘置所長は、法務大臣が改廃を怠った違法な規則一二〇条に依拠した結果、本件の違法な不許可処分をしたのであるし、法務大臣は、右規則を改廃せずに放置すれば、拘置所長が右規則に基づいて、違法な面会不許可処分をすることがあり得ることを予見し得たものと認められる。したがって、法務大臣が過失により右の規則の改廃を怠ったことと拘置所長の本件の不許可処分との間には因果関係がある。

3  行政庁による立法の不作為と賠償責任

法務大臣が法務省令である規則を改廃しなかったということは、その立法作用についての不作為であって、前述のように違法な規則の存在そのものが直ちに国民の権利を侵害するものではないから、立法(本件では規則の改廃)に関する作為義務を履行しなかったからと言って、直ちに国民に対して国が賠償責任を負担するわけではない。しかし、違法な規則が存在するために、それを根拠として違法な行政処分が行われる蓋然性が高く、違法な規則に依拠した違法な行政処分によって、国民の重要な権利が侵害されることについて予見可能性がある場合には、違法な規則を廃止すべき義務を尽くさなかったために、その違法な規則に基づく違法な行政処分によって権利を侵害された国民が国に対し、それによって被った損害の賠償を求める権利を認めるのが相当である。本件はこのような場合に該当する。

二消滅時効の成否

被告は、仮に原告が損害賠償請求権を有するとしても、原告は昭和五八年五月三〇日に法務大臣に対し、同年一〇月二四日に巡閲官に対して、それぞれ情願をなし、昭和五九年二月二七日に法務大臣に対する請願を行い、同年六月一五日に東京地方裁判所に行政処分取消等を求めて前件訴訟を提起したから、前件の訴え提起の時点までには、加害行為である本件の面会不許可処分が違法と見られる可能性があることを認識していたことが明らかであり、そうすると最も遅い面会不許可処分がなされたのは前件の訴え提起の日の後日である昭和六一年四月八日であるが、これを起算日としても、本件訴訟が提起されるまでに既に五年九か月余が経過しているから、原告の損害賠償請求権は時効消滅した、と主張した。

しかし、本件においては、原告は面会不許可処分そのものを加害行為として主張するのではなく、その根拠とされた規則一二〇条を改廃せずに放置した不作為を加害行為として主張しているのである。前件の第一審及び第二審の各判決においては、右規則そのものはいずれも違法でないとされ、その違法を宣言したのは、平成三年七月九日の前件の最高裁判決が初めてである。そうすると原告が法務大臣の不作為が違法であることを知るに至ったのは平成三年七月九日の最高裁判決を知ったときであったと認められる。とすると、未だ時効期間は満了していない。

三損害額

原告は、昭和五四年一一月に東京地裁において死刑判決を受け、昭和五七年一〇月に東京高裁の控訴棄却判決を受け、上告中の昭和五八年四月二二日に、死刑廃止運動に参加していたために在監中に知り合ったBと養子縁組をなしたのであって、Bはもとよりその子のCや孫のDとは、それまで面識もなかったこと等を考慮すると、拘置所長の面会不許可処分により原告が被った精神的損害は金一〇万円を相当とする。

よって、原告の本訴請求は金一〇万円の限度で理由があるが、これを超える請求は理由がない。訴訟費用については、原告が死刑判決確定者であって、訴え提起手数料及び送達費用について訴訟救助を受けていること等を考慮して、その全部を被告に負担させるのを相当と判断した。

(裁判長裁判官髙木新二郎 裁判官佐藤嘉彦 裁判官釜井裕子)

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